従わない弟子たち

五千人の給食の後、次のような言葉が聖書には記されています。「人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、 この方こそ、 世に来られるはずの預言者だ』と言った。そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。」(ヨハネ6:14–15)...

福音が良い知らせである理由

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」( Ⅰペテロ3:18)...

神の偉大さと私たちの価値

「神は私たちを必要としている」そんな風に考えたことはあるでしょうか?「神が人を創造した(または救う)のは、私たちとの交わりを求めていたからだ」などと私たちが考えたとするならば、この「神」は聖書が教えている神ではないことに私たちは気付かなければなりません。神は完全な方なので不足するところが一切ありません。あらゆる点において、神は必要を持たない方なのです。それゆえに、私たちが神の必要を満たすことも、神を助けることもあり得ないのです。...

クリスチャンの最大の目的

神は目的を持って、私たちをこの地上に残しておられます。それは私たちが天ではなす事ができない働きをするためなのです。なぜ私たちは今この地上に存在しているのでしょう。それは私たちが、人々に神を告げ知らせるためです。神を神とせず、罪の中に留まるという選択をする者たちに対して、聖書の神こそがまことの神であり、罪の解決をもたらしてくださる唯一の方であることを告げ知らせるためです。主は、この働きのためにイスラエルをご自分の民とされました。イスラエルは約束の地において、全世界と神との間に立つ祭司の王国なるという目的を持っていました。そして同じ目的を...

人に喜ばれる福音という矛盾

聖書は私たちに罪があることを明確に示しています。そして、その罪を正しく理解することなしに、私たちは福音を理解することはないのです。J. I. パッカー師は「罪を自覚するということは、自分をあらゆる面での失敗者であると感じることだけではなく、自分を、神に背き、神の権威をないがしろにし、神を無視し、神に敵対するようになり、神との関係を損なってしまっている者と理解することを意味するのである。」と言います。この理解なしに、福音を正しく知ることはありません。その絶望があって初めて救いの真のすばらしさを知るようになるのです。...