平安に満ちた生涯を送るために10

平安に満ちた生涯を送るために10

「思い煩ってはいけません」という命令は、「ありとあらゆる心配をしてはならない」という命令ではないことを私たちは前回の投稿で学びました。パウロがピリピ4:6で禁じる思い煩いとはありとあらゆる心配や気遣いから完全に解放されることでも、人生の様々なプレッシャーから完全に解放されることでもありません。では、パウロが禁じている「思い煩い」とはいったいどのようなものなのでしょう。それを正しく知らなければ、私たちは正しくこのこの命令を全うし、不安ではなく平安に満ちた生涯を送ることはできません。ですから、今回はこの私たちが禁じられている思い煩い・心配...
平安に満ちた生涯を送るために9

平安に満ちた生涯を送るために9

主イエス・キリストを信じるすべてのクリスチャンにとって、平安に満ちた生涯を送ることは「あこがれ」や「理想」ではなく、主ご自身が約束された現実です。混乱の中にあった11人の弟子たちに聖霊をお与えになることを約束された主は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに平安を与えます」(ヨハネ14:17)と告げられました。この約束は確かに11人の弟子たちに対して語られたものですが、同じように主から聖霊を与えられている私たちもこの平安を得ることができることを聖書は教えています。パウロはコロサイの教会に宛てた手紙の中で、「キリス...
平安に満ちた生涯を送るために8

平安に満ちた生涯を送るために8

「平安に満ちた生涯を送るために」と題してピリピの手紙4章4節から9節までのみことばを考えていますが、これまで私たちは平安に満ちた生涯を送るための条件を4節と5節から見てきました。平安は誰にでも自動的に備えられるものでなく、特定の条件を満たしている人物のみが得ることのできることをパウロは二つの具体的な命令を通して明らかにしています。一つ目は聖書的喜びが平安な生涯をもたらすということでした。そこで私たちは聖書的な喜びとは何か、聖書的な喜びとはどこから来るのか、そして聖書的な喜びをどうしたら得られるのかをみことばを通して考えました。「何が起...
平安に満ちた生涯を送るために7

平安に満ちた生涯を送るために7

「寛容である」とは「他者が与える虐待や困難を忍耐を持って耐え忍ぶ」ことです。そして私たちはこの寛容もってすべての人に接することが要求されています。なぜなら私たちは彼らを愛するように命じられているからです。しかし、この命令を実践することは容易なことではありません。愛をもって耐え忍ぶことは時にとても困難なことです。この「私にはできません」と思うようなことをいったいどうやったら私たちは行っていくことができるのでしょう。私たちの生まれ持った性質とは異なる習慣を、どうしたら身に着けていくことができるのでしょう。パウロはここで非常に興味深い言葉を...
平安に満ちた生涯を送るために6

平安に満ちた生涯を送るために6

聖書的喜びに加えて、耐え忍ぶ心を持つことが、平安に満ちた生涯を送るために必要であることをパウロはピリピ4:4–5で教えています。「すべてが万全である」という聖書的な確信に基づいた喜びが平安に溢れた人生に必要であることは、理解しがたいことではありませんが、「寛容な心を知らせる」ということが平安の生涯とどのような関係があるのかは、すぐに分からないかもしれません。ここで使われている「寛容」と訳されている単語の持つ意味を要約すると「他者が与える虐待や困難を忍耐を持って耐え忍ぶ」となりますが、この「寛容」と平安にはどのような関係があるのでしょう...