私たちの働きがすべて「主のあわれみを受けて」任じられている務めであることを正しく理解するならば、「燃え尽き症候群」と呼ばれるような虚脱感によって働きから離れてしまうことはなくなるでしょう。一生懸命している働きに虚無感を抱くのは往々にして期待する結果や願っている評価が与えられないことに起因しています。
しかし主の栄光のために働くことができるということがいかに本来の自分にふさわしくないことであるのかを正しく知っている人は、落胆することがないとパウロは教えています。神の前に全く価値のない者であった私たちを、主の栄光を現す器としてくださったという特権を理解するとき、私たちは与えられている働きに「燃え尽きてしまう」ことなく、むしろ感謝に満ちて心を燃え上がらせることでしょう。
パウロは2コリント4:1–16で二度「勇気を失わない(落胆・失望しない)」と告げます。自分の願望から生まれる期待や、人間的な評価に目を向けて失望してしまうのではなく、神のあわれみのゆえに与えられた特権として、神に仕えることができる喜びを持ち続けるときに、私たちもパウロと同じように「私たちは勇気を失わない。」ということができるでしょう。自分を哀れむのではなく、神のあわれみを覚えるときに、私たちは真の安らぎを得て、与えられた働きを忠実に全うしていくことができるようになるのです。