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第8章「危険な『慣れ』」
7月24日
読了時間: 2分
時に、当たり前のように聖書を読み、機械的に説教を準備し、自分を教えることなしに神のことばに触れてしまうことがあります。
これは、まさに恵みであるはず働きが「慣れ」へと変わっている状態です。
神の真理に驚かなくなる‥
礼拝が義務になる‥
奉仕がただの仕事になる‥
本章は、このような状態を「危険な慣れ」と呼びます。
それでは、働きの動機は、どのようにして整えられるのでしょうか。
著者はこう述べます。
「すべての人間の最も深いところにある動機、つまり毎日の生活を形作っている動機は、神への畏れであるべきだとされているのです。」
神への畏れを失えば、どれほど経験を積んでも、技術が向上しても、ミニストリーは少しずつ本来の姿を失ってしまいます。
一方で、著者は、神への畏れは豊かな実を結ぶといいます。
謙遜
優しさ
情熱
神への信頼に基づく自信
規律
安息
これらは、頑張って身につけるものというより、神を畏れる心から生まれる実です。
その中で、興味深いことに、この章はどのように『慣れ』を扱うのかについて語ることに努めていません。
寧ろ、著者は、本章を次のように締めくくります。
ここであなたに授ける戦略はありません。私からの助言は、今すぐ、畏れ敬うべき栄光の父のもとに走ることです。あなたの罪を神に告白してください。あなたが見えていなかった24時間365日、360度に及ぶ神の栄光に目が開かれるよう懇願してください。
つまり、私たちが罪深い慣れを認識し、主のもとに向かう以外に「慣れ」から脱却出来ないのです。
どうか私たち信仰者がこのシンプルな応答が出来るように謙り、豊かな実を主によって生み出すことが出来ますように。



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