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第11章「すでに」と「まだ」の間で

  • 8月5日
  • 読了時間: 2分


全ての信徒は、成長という過程の中に置かれています。そして、キリストに似た者へと変えられることを求めます。


しかし、本章は、そのような願望が歪むと、成長したい!という思いさえも誘惑となり、聖書という唯一の基準から離れてしまう可能性があることを示します。


そして、働き人は「トリックミラー(歪み鏡)」を見て自己吟味をすると明かします。


確かに、トリックミラーには自分が映るのです。しかし、そこには本来あるべき姿はありません。 それでは、信仰者は、頻繁にどのようなトリックミラーを見ているのでしょうか。


本章が訴えることは、自己吟味という鏡が正しく映し出されるために、自己吟味という歪んだ鏡を矯正しなければならないということです。


以下のリストは、トリックミラーの種類となります。歪みのない鏡を取り戻すためにも、現在見ている鏡の状態を確認してください。

1. 自分には福音が必要ないと思う


自分はもう十分成熟したと思う。


2. キリストのからだによる助けを拒む


「自分は大丈夫」という自己充足感を持つ。


3. 他者に完全さを求める


批判や忍耐のなさから厳しい裁きにつながる。


4. より多くの権限を求める


自分の判断を過信し、自分で決定したいと思う。


5. 神との交わりを軽視する


祈りを神を喜ぶ礼拝として求めなくなる。


6. 神の恵みを自分の手柄にする


実りを、自分の努力の結果だと考えてしまう。


7. 不当な権利意識を抱く


評価や待遇を当然のものとして求めるようになる。


8. 誘惑への警戒を失う


「自分は大丈夫」という過信が、罪への無防備さを生み出す。


9. 必要以上の責任を抱え込む


人に任せられず、すべてを引き受けようとする。

以上となります。あなたの見る鏡は、このように歪んでいないでしょうか。


奉仕は私たちを成熟させます。同時に、自己吟味なく続けられる場合危険が必ず伴います。そして、自己吟味をする際にしても、用いる基準が調整されていない場合、無意味な吟味になってしまうのです。トリックミラーの存在を当然としないようにしましょう。

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