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第12章「自己の栄光」
- 8月5日
- 読了時間: 2分
更新日:8月17日
「あなたの牧会は、神への礼拝か、自分自身への礼拝か、あるいはその両方によって成り立っていることでしょう。」
当然、私たち皆は良い動機でミニストリーに取り組みたいと願っているはずです。「神の栄光のために生きたい」と願ってきたはずです。
しかし、人の前に立つ機会が増え、人から感謝され、少なからず影響力を持つようになると、気づかないうちに心の中心が神から自分へと移ってしまうことがあります。
ポール・トリップは、信仰者は自己を礼拝してしまう恐れを抱えていると指摘します。
そして働き人は「名声や地位、権力といったものにあまりにも傾倒しがち」であるとも述べています。この誘惑は、すべての牧会者にも共通するものでしょう。
自己の栄光がもたらすもの
自己の栄光は、ミニストリーを少しずつ蝕んでいきます。著者はその傾向を躊躇なく語ります。
例えば‥
誇りから、自分の話ばかりするようになる。
沈黙すべき場面で自分を弁護する
語るべき場面で人の評価を恐れて真理を語れなくなる。
時には「自分は正しい」と他人の助言を退けます。
プライドは、罪や弱さ、失敗を認めることを困難にします。
トリップはこう書いています。
「プライドの高い人は、愛に満ちた警告、叱責、対決、質問、批判、責任追及を歓迎しません。」
そして、他者が祝福されることを素直に喜べなくなります。
「あの働きは自分が評価されるべきだった。」
「あの役割は自分が担うべきだった。」
そのような思いが心に芽生えるなら、それは神の栄光ではなく、自分の王国を築こうとしている証拠です。また、自己の栄光は支配的な働きを生み出します。
王座を明け渡す
トリップは本章の最後で、こう語ります。
「あなたが自分の王座ではなく、神の王座を大切にする時にはじめて、あなたは牧会という困難で謙虚な務めに喜びを見出すことができるのです。」
本当の喜びは、人から認められることや影響力を持つことからはもたらされません。
教会が自分の思いどおりになることでもありません。本当の喜びは、神が王であり、自分はそのしもべであることを喜んで受け入れるところにあります。
牧会者が毎日問うべき質問は一つです。
今日、私の心の王座に座っているのは誰でしょうか。
神でしょうか。それとも、自分自身でしょうか。



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