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フスのようにいきる Part2 「一粒の麦が白鳥を生んだ」

  • 8月18日
  • 読了時間: 3分


一粒の麦

1415年7月6日、ヤン・フスは火刑台で命を落としました。人々は、一人の改革者が消えたと思ったでしょう。教会もまた、これで異端の問題は終わったと考えたかもしれません。しかし、神の歴史は人間の計画とは違います。イエスは弟子たちにこう語られました。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12章24節)

フスはまさに、その「一粒の麦」でした。


一粒の麦は実を結ぶ

彼の死から約100年後、ドイツのサクソン地方に、一人の修道士が立ち上がります。その名はマルティン・ルター。


ルターは後に

「私たちは皆、知らず知らずのうちにフス派であった」

と語ったと言われています。


さらに宗教改革の流れは、ジョン・カルヴァン、ジョン・ノックスへと受け継がれ、やがてヨーロッパ全体へ広がっていきました。


一羽のガチョウは焼かれました。


しかし、その火は真理まで焼き尽くすことはできませんでした。


むしろ、その炎は多くの信仰者の心に灯をともしたのです。


信条のために命を捧げる


世界の歴史を振り返ると、信念のために命を懸けた人々は少なくありません。


その一例として、宗教改革よりも前の日本から考えましょう。鎌倉時代(1185~1333年)を挙げることができます。


明治時代の日本の学者たちは、この時代を「仏教改革」が起こった時代として理解していました。法然、親鸞、道元、日蓮など、それぞれの立場から仏教の教えを問い直し、従来の複雑な宗教制度の中で示されていた救いを、より簡潔で直接的な形で人々に示そうとしたからです。


一方、同じ鎌倉時代には、武士社会においても、主君への忠誠や名誉など、人生の生き方を方向づける独自の価値観が形成されていきました。


1333年、鎌倉幕府が滅亡すると、北条一族の多くは自害を選びました。敵に捕らえられて辱めを受けるよりも、自ら死を選ぶことによって武士としての名誉を守ることができる、と考えられていたからです。


ここで、仏教の教えと武士の名誉観を同じものとして扱う必要はありません。しかし、両者に共通しているのは、人間の生き方は、その人が何を真実とし、何に価値を置くかによって大きく左右されるということです。


フスは何のために死んだのか


それでは、宗教改革の前の時代を生きたフスは何のために死んだのか。


フスは、自分の名誉のために死んだのではありません。


教皇の名誉のためでもありません。


皇帝のためでもありません。


彼が守ろうとしたのは、ただ一つ。


キリストだけが教会のかしらであるという真理でした。


彼は自著『教会論』の中で、人間はどれほど高い地位にあっても教会のかしらにはなれず、真のかしらはイエス・キリストだけであると語ります。


当時、それは教会の権威そのものに挑戦する言葉でした。だからこそ、フスは危険人物と見なされます。


しかし彼は、時代の常識よりも、聖書の言葉を選びました。人々が「当たり前」と思うことでも、聖書と異なるなら従わない。それがフスの生き方でした。


命を捨てることが信仰なのではありません。キリストを主として生きること、それが信仰なのです。


次の時代へ


そして、その信仰は、一人の殉教者で終わることなく、次の時代へ受け継がれていきました。


次回は、破門され、説教を禁じられたフスが、それでも『教会論』を書き続けた日々をたどります。そして、日本という「沼」を描いた遠藤周作の『沈黙』と重ねながら、「もしフスが日本に来たなら」という問いについて考えてみたいと思います。


参考文献

Hus, John. The Church. Translated by David S. Schaff. New York: Charles

Scribner’s Sons, 1915.

Lai, Whalen. “After the Reformation: Post-Kamakura Buddhism.” Japanese Journal of Religious Studies 5, no. 4, 1978.

Busenitz, Nathan. A Little Book on the Reformation. The Master's Seminary Press, 2017.

Taiheiki, Vol. 10, “The Suicide of Hojo Takatoki and His Clan at Toshoji.”



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