フスのようにいきる Part1「焼かれたガチョウ」
- 8月18日
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1415年7月6日 一羽のガチョウが火刑台へ
ボヘミアの宗教改革者ヤン・フスは、コンスタンツ公会議で異端と宣告され、火刑台へと連れて行かれました。
「フス(Hus)」とは、チェコ語で「ガチョウ」を意味します。
一羽のガチョウが、火刑台で焼かれようとしていました。
では、フスはなぜ命を失うことになったのでしょうか。
教会の真のかしらは誰か
彼が戦った相手は、皇帝でも政治でもありませんでした。
彼が問い続けたのは、「教会の本当のかしらは誰なのか」ということでした。
当時のヨーロッパでは、教皇の権威は絶対的なものと考えられていました。しかしフスは聖書を読み続ける中で、一つの確信にたどり着きます。
教会のかしらは、ただイエス・キリストだけである。
人間はどれほど高い地位に立とうとも、教会の主人にはなれません。使徒たちでさえ、自らを教会の主人とは呼ばず、キリストのしもべであると語りました。だからフスは妥協しませんでした。
教会の伝統よりも聖書を。
人よりもキリストに権威を。
その姿勢は、やがて教会との激しい対立を生みます。彼は破門され、説教を禁じられ、それでもなお語ることをやめませんでした。多くの人は「命が惜しくなかったのか」と考えるかもしれません。
フスは、死ぬために生きていたのではありません。キリストに忠実であるために生きていたのです。
一粒の麦
だから結果として死が待っていたとしても、真理を曲げることはできませんでした。
イエスはこう言われました。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12章24節)
火刑の日、多くの人は「一羽のガチョウが焼かれた」と思ったことでしょう。
しかし神は、その日をまったく違う視点から見ておられました。
一粒の麦が地に落ちた日として見ておられたのです。そして、その一粒は、やがてヨーロッパ全土に実を結ぶことになります。
ガチョウから白鳥へ
それは、フス一人の物語では終わりませんでした。
「あなたたちは今日、ガチョウを焼く。しかし100年後には、あなたたちが焼くことのできない白鳥が現れる。」
この言葉は、ヤン・フスが火刑に処される直前に語ったと伝えられている言葉です。史実として断定できるものではありませんが、この言葉は後に宗教改革者マルティン・ルターの登場を象徴するものとして語り継がれてきました。
次回は「一粒の麦は、どのようにして白鳥へとつながっていったのか」を見ていきます。
参考文献
Schweinitz, E.de. “Hus, John.” In Cyclopædia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature, New York: Harper & Brothers, 1891



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