第5章「関節と靭帯 」
- 6月27日
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更新日:6 日前
牧師は多くの人に囲まれているように見えます。
しかし実際には、誰にも本音を話せず、一人で重荷を抱え込みながら奉仕していることがあります。
本章から、教会における「関節と靭帯」という聖書的なイメージを通して、孤立した働き人の危険性と、その打破に向けての取り組みについて考えさせられます。
孤独な働き人が踏んでいるステップ
著者は、孤立がどのような段階を踏んだ状態なのかをヘブル書3章12–13節に基づき説明します。
「兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」
著者は、孤独の問題について、罪に原因があり、次第に神から離れるという視点を持つ事が重要であると記します。
第1段階 罪に屈する
最初に、神が悪であると言われるものを取り入れ、そこに満足や快感を求め始めます。
最初は小さな妥協かもしれません。
しかし、罪は決してその場で止まりません。
第2段階 不信仰に陥る
罪を抱え続けると、人は自分を守ろうとします。
自分の罪を認めず、正当化し、自分の正しさを維持しようとします。
プライドや自己弁護が強くなり、神の御言葉よりも自分の判断を信頼するようになります。
その結果、さらに罪が活動しやすい環境が生まれます。
第3段階 神から離れていく
もちろん、突然信仰を捨てるわけではありません。
しかし、神の恵みに頼ることなく、自分の力で生きるようになります。
これらの段階が示す通り、罪に向き合わない結果、霊的漂流が始まっているのです。
この段階を踏みながら孤独を解決しようと努めない人には、大きな思い込みがあるようです。
「孤立」が召しである、という錯覚
牧師の中には、
「自分が耐えなければならない」
「弱さを見せてはいけない」
「一人で解決しなければならない」
「正しさから来る孤独だ」
と考えている人もいるでしょう。
しかし、それは本当に神から与えられた召しなのでしょうか。神は私たちを孤立して生きるようには造られませんでした。むしろ、日々互いに励まし合う共同体の中で歩むように召しておられます。
孤独から解放されるための具体的な方法
本章では、牧師や牧師家庭が孤立しないための実践的な提案も紹介されています。
牧師自身が、リーダーではない立場で小グループに参加する
霊的に成熟した指導者から継続的に助言を受ける
牧師夫人同士の交わりを持つ
説教の中で適切な自己開示を行う
教会員が牧師一家を家庭に招く機会を持つ
牧師夫人を支えるメンターを確保する
牧師夫妻が定期的に一緒に休息を取る
必要に応じて専門的なカウンセリングを受けられる環境を整える
これらは単なるプログラムではありません。
「孤独を打ち破る」ための実践的な知恵と言えます。
孤独を打ち破るために‥
教会の成長は、単純に優れたプログラムだけによってもたらされるものではありません。もしくは、単に正しい教理声明を掲げることによるわけではありせん。
互いに励まし合い、弱さを分かち合い、罪と戦い続ける共同体によって育まれます。
指導者もまた、その共同体の一員です。リーダーだからこそ、他の信徒と同じように励ましと支えを必要としているのです。
そのような深い関係性の中で、正しい聖書理解に基づき、神へ相応しい礼拝を捧げる民へと変わることが出来るのです。
以下は、本章から導かれた問いで、読書会でも話し合いました。
是非、ご自身に問いかけてください。
考えてみましょう
① あなたは孤立を正当化していませんか?
自分は一人で抱え込むべきだと思っていないでしょうか。
誰にも弱さを見せられなくなっていないでしょうか。
助けを求めることを恥だと感じていないでしょうか。
② 孤独を打破するために
現在、孤独を防ぐために実践していることは何でしょうか。
今後取り入れたいことは何でしょうか。
あなたの人生で、本音を話せる人は誰でしょうか。
あなた自身は、誰かを励ます存在になれているでしょうか。
孤立ではなく交わりへ。
自己防衛ではなく互いの励ましへ。
私たちは罪の惑わしから守られ、キリストの愛によって突き動かされることで奉仕へと向かわなければならないのです。



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