第2章「何度も何度も」
- 6月8日
- 読了時間: 3分
更新日:6月12日
著者ポール・トリップ氏は、多くの「道を失った牧師たち」と出会ってきました。
彼らに見られたのは、問題が突然起こったように見えても、実際には長い時間をかけて少しずつ進行していたということです。
本人は自分の問題に気づいていません。むしろ、順調に働きを続けていると思っています。
しかし、見過ごされた問題はやがて限界に達し、ある日大きな形で表面化します。
著者は、その根本にある問題を「私たちは常にイエス・キリストの恵みを必要としている」という事実を忘れてしまうことだと指摘します。
いつの間にか神の栄光ではなく、自分の評価や成功、働きそのものが目的になってしまうのです。
本章では、牧師が道を失い始めている兆候として、いくつかの特徴が挙げられています。
以下の項目は特別な人だけに起こる問題ではありません。むしろ、牧師だけでなく、奉仕するすべてのクリスチャンにも当てはまり注視すべきリストと言えます。
問題の証拠を無視すること。
自分の心の状態に盲目になること。
信仰への専念が弱まること。
自分自身に福音を語らなくなること。
身近な人の声に耳を傾けなくなること。
働きが喜びではなく重荷になること。
孤独と沈黙の中に閉じこもること。
召命そのものに疑問を抱き始めること。
そして、別の人生への空想に心を奪われること。
本章では、このようなリストに沿って説明をしている著者から次の本質的な事実が明かされています。
「牧師の安心とは教会の人たちがどれだけ愛してくれるかではなくて、すでにイエスがどれだけ愛して下さったかという事実にあるのだ。」
私たちは単なる表面的な励ましや働きの評価を必要だと強く感じやすい者です。
しかし、それが安心の土台になると、人の反応によって心は簡単に揺さぶられてしまいます。
本当の安心は、人からどう見られるかではなく、キリストが十字架によって示してくださった愛の中にあります。
だからこそ、自分自身に福音を語り続けることが必要です。
信仰者とは、成果によってではなく、恵みによって神に受け入れられている。その真理を日々思い起こすことが、道を見失わないための大切な原則なのだ学ぶことができました。
同時に、著者は次の牧師の姿にも注目しています。
「誰からも知られず、誰からもケアされていなかった」
リーダーには「強くなければならない」「弱さを見せてはいけない」という無言のプレッシャーがあります。そのため、質問を受けても本音を語れず、上手にかわすことを覚えてしまうことがあります。
しかし、誰にも知られないまま生きることは、霊的にも危険な状態です。もちろん、すべてを人の前で語る必要は必ずしもあるわけではありません。
同時に、心の葛藤や重荷を正直に分かち合える信頼できる友人や同労者、牧会者を持つことも不可欠です。それは教会のリーダーもまた、ケアされる必要のある一人の人間だからです。
今回の学びを通して、二つの側面からシンプルに問いかけられました。
安心をキリストの愛ではなく、人の評価に求めていないだろうか。
そして、自分の本当の姿を知っている人がいるだろうか。
道を失うことは、一瞬で起こるわけではありません。
だからこそ私たちは今日も、キリストの恵みに立ち返り、分かち合える同志と共に主の愛の中で歩み続けなければなりません。

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