Part5 カルヴァンの考える説教者の働き
カルヴァンは、説教者とは誰であるかだけでなく、説教者は何をする者なのかについても明確な考えを持っていました。
説教は礼拝の中で数十分語られるだけの働きではありません。その背後には、御言葉に仕えるための準備があり、神が造られた世界を正しく理解しようとする姿勢があり、そして何よりも、御言葉を人々の心へ届けるための牧会的な配慮がありました。
① Preparation(準備)
カルヴァンの説教は自然で、生き生きとしていました。
声の抑揚や身振りを用い、時には一人称を巧みに使い分けながら、聞き手が御言葉を身近に感じられるよう語ったと伝えられています。
しかし、それは決して即興ではありませんでした。
カルヴァンはこう語っています。
「もし私が何も学ばず、何の準備もせずに講壇へ上がり、『神がその場で語るべきことを与えてくださるだろう』と考えるなら、それは高慢です。そのような思い上がりを、神は必ずへりくだらせるでしょう。」
説教者は、聖霊の助けを信じます。
同時に、その助けを口実に努力を怠ることは許されません。御言葉を忠実に語るためには、祈り、学び、準備することが不可欠なのです。
② Understanding(理解する)
カルヴァンは、自然という「もう一つの書物」を通しても、創造主なる神の威厳を見いだしていました。
しかし彼は、もちろん自然だけで神を理解できるとは考えていませんでした。常に聖書という神の特別啓示を基準としていたため、その考え方は、理性だけで神を理解しようとする啓蒙主義の理神論(デイズム)とは一線を画していました。
カルヴァンは、聖書の真理を胸に被造世界を眺めます。そして、その背後におられる「偉大な建築家」なる神へと思いと心を向けたのです。
③ Breaking it Down(分かりやすく伝える)
カルヴァンは、説教者の務めを興味深い言葉で表現しています。
それは、御言葉を「噛み砕く」ことです。
御言葉を変えることではありません。難しい神学を単純化することでもありません。
聞く人々が理解できるように、御言葉を丁寧に説明することです。カルヴァンは、常に普通の人々が理解できる範囲で語るよう努めました。
説教は学者だけのものではありません。
子どもにも、働く人にも、高齢者にも、御言葉が届かなければならないのです。
だから説教者は、自分の知識を誇るのではなく、聞き手が御言葉を理解できるように仕えます。
私たちへの問い
現代では、多くの情報が簡単に手に入ります。
しかし、それは必ずしも御言葉を理解していることを意味しません。
カルヴァンが説教者に求めたのは、
十分に準備すること。
神が造られた世界を正しく理解すること。
そして、御言葉を人々の心へ届くように丁寧に語ることでした。
説教者の使命は、自分の知識を示すことではありません。神の御言葉が、一人ひとりの生活の中で理解され、生きたものとなるように仕えることです。
その姿勢は、約五百年を経た今日もなお、説教者に求められている大切な務めではないでしょうか。



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