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第14章「分離」

8月17日
読了時間: 2分

教えている自分と、生きている自分

人前では落ち着いて聖書を教え、他の人を励ましていても、家庭では苛立ちやすかったり、心の中では恐れや高ぶりと戦っていたりすることがあります。


このギャップを、この章では「分離」と呼んでいます。


著者は、主が再び来られる日まで、この分離を完全になくすことはできないと認めます。しかし問題は分離があることではなく、その状態に慣れてしまうことだと

します。


「人にはこう教えるけれど、自分は別」

「説教ではこう語るけれど、私生活では仕方がない」


そのような状態が普通になると、やがて御言葉を自分自身に適用しなくなってしまいます。トリップは、この危険を「ミニストリーの二重性」と呼びます。教えていることと、自分の生き方との間に乖離が生まれる状態です。


さらに危険なのは、ミニストリーそのものが心を支配し始めることです。成果、評価、影響力、教会の成長。それらが自分の価値を支えるものになると、働きは神に仕える場ではなく、自分を支える偶像になり得ます。


では、この分離にどう向き合えばよいのでしょうか。トリップが繰り返し示す答えは、自分自身に福音を語ることです。自分が基準を完全に満たせないとしても、イエスが自分に代わって完全に満たしてくださいました。


人から評価されなくても、自分のアイデンティティは神との関係の中にあります。

自分の弱さが明らかになったとしても、キリストの血によって覆われています。

そして、ミニストリーの妨げになるのは、必ずしも自分の弱さではありません。むしろ、「自分は大丈夫だ」という強さへの幻想の方が危険です。牧師も、助けを必要とする一人の信仰者です。


だからこそ、自分の説教をまず自分自身が聞き、自分の葛藤を適切に告白し、聖書的な助言のもとに身を置き、家族や友人に対して近づきやすい人であることが大切です。目指すのは、完璧な人になることではありません。公の自分と私生活の自分とのギャップに慣れず、福音によって少しずつその距離を縮めていくことです。


著者は、分離のギャップを埋める方法を明かします。

  • 自らの教えと説教を自分自身が受けることを義務づける

  • 自らの葛藤を公に告白する

  • 賢明で聖書的な助言のもとに身を置く

  • 友人や家族に対して親しみやすくある


謙虚で率直なリーダーの共同体を築くそのギャップを縮めるために、今週一つ実践するとしたら何をしますか。


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