聖書が教える親の責任 (11)

聖書が教える親の責任 (11)

神の召しにふさわしい (エペソ4:1) 光の子どもとして (エペソ5:8)、御霊に満たされた生涯を送るに当たって (エペソ5:18)、パウロは父親に対して具体的に三つの責任を明記しました。これまでに私たちは「子どもをおこらせてはいけない」と「主の教育する」という二つの責任を見てきましたが、今回は三つ目の責任である「子どもを訓戒する」ということを考えていきましょう。 パウロがエペソ 6:4...
聖書が教える親の責任 (10)

聖書が教える親の責任 (10)

神が親に与えている責任は、子どもをおこらせないこと、子どもを教育すること、そして子どもを訓戒することです。私たちはこれまでに、最初の二つを見てきました。親は子どもと接する中で、不必要に子どもに憤りを与えることをしてはいけません。怒りを覚えさせることによって、子どもに罪を犯させてはいけないからです。また親は、子どもの心を教育しなければいけません。時には懲らしめによって、時には指導することによって親は子どもの心が神に向くように教育しなければいけないのです。...
聖書が教える親の責任 (9)

聖書が教える親の責任 (9)

子どもを教えるに当たって、親は子どもの心に養うことを心がけていなければなりません。なぜならば「心」こそが私たち人間の外面的な言動を支配する場所であるからです。ソロモンは箴言の中で「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)と告げて、この心の重要性を明確にしています。主は親がこの働きをする際に、しなければならない責任をモーセを通して具体的に提示しています。ここで何よりも重要な点は、子どもの心を養おうと思うならば、親がその心に主の教えを刻まなければならないということです。 神は申命記...
聖書が教える親の責任 (8)

聖書が教える親の責任 (8)

親は一生懸命子どもの悪いところを正そうと努力しますが、外面的な行動だけを修正することに気を取られていては、本当の意味で子どもを正していると言うことはできません。時に親は自分たちの面目を保つために子どもの「行動修正」に励むことがありますが、このような「行動修正」の行為によってどれだけ子どもが良い振る舞いをするようになったとしても、もし子どもの心が変えられていなければ、それは一時的なものでしかなく、むしろ心の変化なしに行動を抑制される子どもに怒りを植え付ける行為になる場合が多々あります。ましてや、自分たちの面目のために子どもを教育するなら...
聖書が教える親の責任 (7)

聖書が教える親の責任 (7)

親に対して神は、してはならないことと、しなければならないことを明確に示しています。聖書は「子どもをおこらせてはならない」という「親がしてはならないこと」を告げた後、同時に二つの「親が行わなければいけない責任」を明示しています。それらは子どもを教育することと訓戒することです。子どもを怒らせないように育てるだけではなく、親は子どもを教え、訓戒する責任が与えられているのです。それゆえにクリスチャンである親は、これら二つの責任が具体的に何をすることなのかを正しく理解し、実践していかなければならないのです。 子どもたちに正しい教育をする...