平安に満ちた生涯を送るために2

平安に満ちた生涯を送るために2

平安に満ちた生涯を送るための条件 恐れることなく、不安にさいなまれることなく、落胆することなく、平安に溢れて生きることができると聖書は私たちに教えてくれます。しかし、そのような生涯は何もせずに、自動的に起こるものではありません。安全に旅をするには、旅に必要な準備をしなければならないのと同じように、平安に満ちた生涯を送るにも準備が必要です。パウロはピリピ4:4–5で、この準備について書き記しています。パウロは次のように記します。...
平安に満ちた生涯を送るために1

平安に満ちた生涯を送るために1

平安に満ちた生涯を過ごしたくないという人はいないでしょう。私たちは皆、自分たちの人生が平和に満ちたものであることを心から願っています。けれどもその願いを現実のものとしている人は多くはないでしょう。たとえ外面的に不安のない生涯を送っているように見えても、いつも心から平安に満ちた人生を生きている人は皆無であると言っても過言ではないかもしれません。...
愛する者の姿7

愛する者の姿7

神が喜ばれる円滑な人間関係を築くためには、聖書的な愛がその関係における潤滑油の働きをなしていなければなりません。聖書的愛が見受けられないところには、良い関係を見いだすことはできないのです。パウロは4節から7節において、この愛の姿がどのようなものであるのかを明確に示してくれました。そしてさらに、愛がどれほどすばらしいものであるのかを付け加えるのです。 愛の優越性...
愛する者の姿6

愛する者の姿6

パウロは愛する者とはどのような者なのかを簡潔な言葉で、しかし明瞭に教えています。愛する者は長く苦しむことを疎まない「寛容」な人物で、積極的に相手に取って最善である「親切」を行おうと努め、「ねたまず」「自慢せず」「高慢にならず」相手が誰であろうと常に適切な態度で接するがゆえに「礼儀に反しない」人です。この人は「自分の利益を求めない」ので復讐を求めたりしない「怒らない」人であり、いつまでも「人の犯した悪を思い巡らさない」人物です。このような人物は常に「不正を愛さず」「真理を愛する」人です。なぜなら愛は真実に根ざしたものであり、真理は愛と共...
愛する者の姿5

愛する者の姿5

愛は「親切」で「礼儀に反すること」をしません。「人のした悪を思わず」かえって人の悪に「寛容」であることをパウロは告げてきました。しかし、このように礼儀正しく忍耐強い愛であっても、決して喜ばないものがあることをパウロは教えます。6節に出てくる二つの特徴は、喜びに関する事柄です。愛が何に対して喜びをもつのかをパウロは示しています。二つのことを対比することでパウロは愛が何を求めるものなのかを明確にしているのです。 愛は不正を喜ばない...