平安に満ちた生涯を送るために12

平安に満ちた生涯を送るために12

人生に起こる様々な出来事の中で、私たちが主の前に正しい応答をするならば、そこには神が与えてくださる平安があることを聖書は教えています。この世の事柄にだけ目を向け、眼前にある問題に捕らえられ、思い煩うことは、「間違った応答である」とパウロは告げます。パウロはこうした間違った応答をするのではなく、「あなたがたの願い事を主に知っていただきなさい」と勧めます。すべてのことを支配しておられる絶対的な主権者である神との個人的な関係を持っているので、クリスチャンはこの方の御前に大胆に出て行くことができます。そして主は、私たちにとって最善なことをなさ...
平安に満ちた生涯を送るために11

平安に満ちた生涯を送るために11

心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。 悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。 (箴言15:13–15)...
平安に満ちた生涯を送るために10

平安に満ちた生涯を送るために10

「思い煩ってはいけません」という命令は、「ありとあらゆる心配をしてはならない」という命令ではないことを私たちは前回の投稿で学びました。パウロがピリピ4:6で禁じる思い煩いとはありとあらゆる心配や気遣いから完全に解放されることでも、人生の様々なプレッシャーから完全に解放されることでもありません。では、パウロが禁じている「思い煩い」とはいったいどのようなものなのでしょう。それを正しく知らなければ、私たちは正しくこのこの命令を全うし、不安ではなく平安に満ちた生涯を送ることはできません。ですから、今回はこの私たちが禁じられている思い煩い・心配...
平安に満ちた生涯を送るために9

平安に満ちた生涯を送るために9

主イエス・キリストを信じるすべてのクリスチャンにとって、平安に満ちた生涯を送ることは「あこがれ」や「理想」ではなく、主ご自身が約束された現実です。混乱の中にあった11人の弟子たちに聖霊をお与えになることを約束された主は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに平安を与えます」(ヨハネ14:17)と告げられました。この約束は確かに11人の弟子たちに対して語られたものですが、同じように主から聖霊を与えられている私たちもこの平安を得ることができることを聖書は教えています。パウロはコロサイの教会に宛てた手紙の中で、「キリス...
平安に満ちた生涯を送るために8

平安に満ちた生涯を送るために8

「平安に満ちた生涯を送るために」と題してピリピの手紙4章4節から9節までのみことばを考えていますが、これまで私たちは平安に満ちた生涯を送るための条件を4節と5節から見てきました。平安は誰にでも自動的に備えられるものでなく、特定の条件を満たしている人物のみが得ることのできることをパウロは二つの具体的な命令を通して明らかにしています。一つ目は聖書的喜びが平安な生涯をもたらすということでした。そこで私たちは聖書的な喜びとは何か、聖書的な喜びとはどこから来るのか、そして聖書的な喜びをどうしたら得られるのかをみことばを通して考えました。「何が起...