by jba | May 7, 2018 | Blog
教会が健全であるためには正しい聖書の説き明かしが必要です。神がどのような方で、何を望まれ、何を要求されているかを知るために、神は私たちに聖書を与えてくださいました。究極の著者である神は、人間の著者たちを通してご自分の意図したことを聖書を通して明示してくださっているので、聖書は「教えと戒めと訓戒と義の訓練とのために有益」なのです(2テモテ3:16)。教会が成長し、キリストの似姿へと成長していくためにはこの聖書の真理を正しく知らなければなりません。そして正しく知るためには、正しく説き明かされる必要があるのです。...
by jba | Dec 30, 2016 | Blog
新しい年が始まるに当たって、多くのクリスチャンは「今年も(こそ)聖書を読むぞ」と考えます。しかし、一年間読み続けたとしても、何を読んだかさえあまり良く覚えていないような読み方をしても意味がありません。聖書は「読むために読む」のではなく、「理解して生きるために読む」ものだからです。つまり、何も考えずにただ字面を追うだけではだめなのです。...
by jba | Nov 16, 2016 | Blog
クリスチャンはどのような状況の中にあっても「平安に満ちた生涯」を送ることができると聖書は教えています。この平安は何か神秘的なものではなく、キリストによって贖われたクリスチャンが、主の教えに沿って生きていくときに経験することのできるものです。つまり私たちはみことばの提示する明瞭な教えに自らの思いと行動を沿わせていくときに、いつでも、どんな状況の中でも「平安に満ちた生涯」を送ることができると聖書は約束するのです。...
by jba | Nov 8, 2016 | Blog
ピリピの教会に宛てた手紙に登場する最後の命令は4章9節に出てくる「実行しなさい」です。ここで使われている動詞は「何をしているのか」ということに焦点を当てるもので、私たちが平安に満ちた生涯を送るために何をしなければならないのかを示してくれます。前回の投稿で見たように、9節に記されている四つの行動は大きく二つの事柄に区分することができます。一つは「聖書の基準に沿って生きなければばならない」ということで、もう一つは「敬虔な信仰者の模範に沿って生きなければならない」ということです。今回はこの二つ目の区分について考えていきましょう。...
by jba | Oct 11, 2016 | Blog
人は「これをした方が良い」と分かっていながらも、なかなか良い正しいことをすることがありません。様々な理由を付けてやらなければならないことをしないでいることを正当化しようとします。この傾向はエデンの園でアダムとエバが「取って食べてはならない」と言われた木から実を取って食べたその日から、私たち人間の社会の中に見られる悲しい現実です。そしてこの悲しい現実は、残念ながらクリスチャンの生涯にも見て取ることでもあります。クリスチャンは聖書が全く偽りのない真実なものであると言いますが、まるでみことばには力がないかのように日々過ごしています。「神が語...