福音が良い知らせである理由

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」( Ⅰペテロ3:18)...

神の偉大さと私たちの価値

「神は私たちを必要としている」そんな風に考えたことはあるでしょうか?「神が人を創造した(または救う)のは、私たちとの交わりを求めていたからだ」などと私たちが考えたとするならば、この「神」は聖書が教えている神ではないことに私たちは気付かなければなりません。神は完全な方なので不足するところが一切ありません。あらゆる点において、神は必要を持たない方なのです。それゆえに、私たちが神の必要を満たすことも、神を助けることもあり得ないのです。...

「礼拝生活」の実践

礼拝とは日曜日にだけ行われるものではありません。礼拝は毎日の生活の中で行われるものであり、日曜日にもたれる公同の礼拝は、私たちが毎日の生活の中で行う個人の礼拝の反映です。クリスチャンは自分を贖って下さった神をどこででも礼拝することができ、この神様に栄光を帰するために日常生活の中で礼拝を捧げ続ける者です。礼拝とは神の栄光を現すことであり、そのために私たちはあがなわれ、そのために私たちは生きているのです。 神が私たちを救った目的が「神の栄光をほめたたえるため」であることをパウロはエペソ1章で3度も繰り返して教えています(エペソ1:6,...

クリスチャンの最大の目的

神は目的を持って、私たちをこの地上に残しておられます。それは私たちが天ではなす事ができない働きをするためなのです。なぜ私たちは今この地上に存在しているのでしょう。それは私たちが、人々に神を告げ知らせるためです。神を神とせず、罪の中に留まるという選択をする者たちに対して、聖書の神こそがまことの神であり、罪の解決をもたらしてくださる唯一の方であることを告げ知らせるためです。主は、この働きのためにイスラエルをご自分の民とされました。イスラエルは約束の地において、全世界と神との間に立つ祭司の王国なるという目的を持っていました。そして同じ目的を...

クリスチャンの祈り (3)

私たちは、祈ることがすべてであり、それさえすれば十分であると考えていることがあります。そして祈りさえすれば、神が答えてくれると思いこみ、祈った後、じっと座って待っているのです。しかし神はランプの精ではありません。私たちが祈ることによって呼び出せば私たちの要求に応えてくださる方ではないのです。神は私たちに祈ることを要求していますが、祈ることだけを要求してはいません。ピリピ4章でパウロが言わんとしていることを少し考えてみましょう。...