イエスが教えた祈り (4)

イエスが教えた祈り (4)

天国民はどのように祈るべきなのでしょう。同じ言葉を繰り返し、意味の無い祈りを捧げるのではなく、主が心から喜んで聞いてくださる祈りを捧げるために私たちは何を願っていくべきなのでしょう。その答えをイエスはマタイ6:9–13で一つの例を挙げて示してくれています。それが一般的に「主の祈り」として知られている祈りです。偽善者たちの間違った行動について語っている文脈の中で、イエスはいったんその主題を横に置いて、祈りに関する大切な教えをなしているのです[1]。...
イエスが教えた祈り (3)

イエスが教えた祈り (3)

偽善者たちの祈りは神からの報いを受けるものではありませんでした。それは彼らが神に向かって祈っていたからではなく、人からの賞賛を得るために祈っていたからでした。しかし天国民の祈りはそれが公の場での祈りであっても、誰もいないところでの祈りであっても、神に向けられた祈りであることをイエスは教えました。どこで祈るのかが問題ではありません。どのような態度で、誰に向かって祈るかが問題なのです。...
イエスが教えた祈り (2)

イエスが教えた祈り (2)

パリサイ人や律法学者の祈りは、神に向けられた祈りではありませんでした。彼らは人からの賞賛を受けるために祈っていたのです。このような祈りは神に向けられた祈りではなく、人に向けられた祈りでした。イエスはこのことをマタイ6:5で厳しく指摘しています。このような偽善者の祈りが神に受け入れられることはありません。なぜなら人からの賞賛を受けるために人前で演じられる祈りは、神からの報いを受けることのできるものではなく、人からの賞賛だけで終わってしまうからです。...

クリスチャンの祈り (3)

私たちは、祈ることがすべてであり、それさえすれば十分であると考えていることがあります。そして祈りさえすれば、神が答えてくれると思いこみ、祈った後、じっと座って待っているのです。しかし神はランプの精ではありません。私たちが祈ることによって呼び出せば私たちの要求に応えてくださる方ではないのです。神は私たちに祈ることを要求していますが、祈ることだけを要求してはいません。ピリピ4章でパウロが言わんとしていることを少し考えてみましょう。...