聖書が教える親の責任 (6)

聖書が教える親の責任 (6)

パウロは「子どもをおこらせてはいけません」と言います。これは親に対する注意、 または警告であり、親が意図的に、または不用意に挑発することによって子どもの怒りを引き起こさせないために与えられている命令です。時に親が挑発することがなかったとしても、子どもは自らの罪深さのゆえに親に対して怒ることがあります。このようなときは 子ども自身の自己中心や、未熟さ、間違った態度が怒りの原因であり、罪を犯しているのは彼らの方なのです。...
聖書が教える親の責任 (5)

聖書が教える親の責任 (5)

神が子どもに与えている命令は親に従うことでした。その逆が親に与えられている責任です。子どもたちを憤らせることをせずに、神に対する敬虔を養う環境で従順を教えることが、神が親に与えている責任であるとエペソ 6:4 は教えます。これは簡単なことではありません。親は子どもに従順を教えるために必要な事柄をしっかりと理解し、主の前に忠実にこれを実践しなければならないのです。...
聖書が教える親の責任 (4)

聖書が教える親の責任 (4)

子育ては、休み休み行うことの出来るような責任ではありません。主は、イスラエルの民にこう命じています。 「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちに良く教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」申命記 6:6-7 神は親に言うのです。休むことなく、どんなときも子どもたちを教え導かなければならないのだと。子どもとの時間は、価値のある、内容の濃い時間であればよいと考える風潮がありますが、それは申命記 6:7...
聖書が教える親の責任 (3)

聖書が教える親の責任 (3)

神は親に対して、主の教えと訓戒をもって子どもを育てることを命じています。それゆえにその責任をほかの人に委託することは正しいことではありません。親は子どもの生涯に深く関わることによって、自分たち以上に子どもに影響を与える存在がないようにしなければならないのです。ある親は、子どもが犯す過ちが子どもの友人のせいだと言います。 しかし、それは親が責められなければならないことを自らが認めているのです。なぜならば子どもが親の言葉ではなく、友人の言葉に耳を傾けることを許してきたからです。...
聖書が教える親の責任 (2)

聖書が教える親の責任 (2)

神は子どもを育てるという責任の中に、ほかでは見いだすことの出来ない喜びを埋め込んでくださっています。その喜びは私たちが神の原則に基づき、子どもを育てていくときにのみ得ることの出来るものです。では、このように神の言葉に従順に従っていったとき、私たちは子育てに成功するのでしょうか。次の原則を考えてみてください。 原則3 :: 子育ての成功は、親の行為によって計られるのであって、子どもがどうあるかではない...