愛する者の姿7

愛する者の姿7

神が喜ばれる円滑な人間関係を築くためには、聖書的な愛がその関係における潤滑油の働きをなしていなければなりません。聖書的愛が見受けられないところには、良い関係を見いだすことはできないのです。パウロは4節から7節において、この愛の姿がどのようなものであるのかを明確に示してくれました。そしてさらに、愛がどれほどすばらしいものであるのかを付け加えるのです。 愛の優越性...
愛する者の姿6

愛する者の姿6

パウロは愛する者とはどのような者なのかを簡潔な言葉で、しかし明瞭に教えています。愛する者は長く苦しむことを疎まない「寛容」な人物で、積極的に相手に取って最善である「親切」を行おうと努め、「ねたまず」「自慢せず」「高慢にならず」相手が誰であろうと常に適切な態度で接するがゆえに「礼儀に反しない」人です。この人は「自分の利益を求めない」ので復讐を求めたりしない「怒らない」人であり、いつまでも「人の犯した悪を思い巡らさない」人物です。このような人物は常に「不正を愛さず」「真理を愛する」人です。なぜなら愛は真実に根ざしたものであり、真理は愛と共...
愛する者の姿5

愛する者の姿5

愛は「親切」で「礼儀に反すること」をしません。「人のした悪を思わず」かえって人の悪に「寛容」であることをパウロは告げてきました。しかし、このように礼儀正しく忍耐強い愛であっても、決して喜ばないものがあることをパウロは教えます。6節に出てくる二つの特徴は、喜びに関する事柄です。愛が何に対して喜びをもつのかをパウロは示しています。二つのことを対比することでパウロは愛が何を求めるものなのかを明確にしているのです。 愛は不正を喜ばない...
愛する者の姿4

愛する者の姿4

一般的に「愛」は目に見えないもののように捉えられていますが、クリスチャンにとって「愛」とは漠然とした概念ではありません。愛は具体的なものです。使徒ヨハネは次のように記します。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:9–10)...
愛する者の姿3

愛する者の姿3

神の愛を知ることなく、神が愛したように人を愛することはできません。生まれながらの人間が持っている愛は、神が私たちに求める愛とは根本的に異なるものだからです。しかし、キリスト・イエスを信じる信仰によって神の愛を受けた者は、この神の愛をもって人を愛する者へと変わっていきます。永遠のいのちを持っている者はこの神の愛で愛する者になったことを使徒ヨハネははっきりと告げています。 私たちは自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。(Ⅰヨハネ3:14)...