Resource Center

line__0000s_0106_noteBlog Posts

クリスチャンと礼拝(5)—礼拝と教会—

ヨハネの福音書4章にでてくるイエスとサマリヤの女との対話の中で、イエスはこの女が持っていた礼拝観に異議を唱えました。そこで語られたイエスの言葉は、私たちの持っている礼拝観を吟味させるものです。私たちの多くは、礼拝というものが定められたときに、定められた場所で、ある特定の方法を持って行われるべきであるという考えを持っています。しかしイエスが答えの中に、私たちは「礼拝とは、特定の場所、時、形式に制限されるものではない」という真理を見出すことができます。ここで私たちは特に、礼拝の場所という点に焦点を当てて考えていきたいと思います。...

クリスチャンと礼拝(4)ー礼拝と神の聖さー

私たちは神の属性を考えるときそれらを礼拝と切り離して考えるべきではありません。マッカーサー博士はこのことを5章と6章でまとめてきました。神がどのような方であるかを正しく理解するとき、その知識は私たちを礼拝へと導くのです。たくさん挙げることができる神の属性の中でも、最も重要と言える属性は神の聖さです。マッカーサー師は次のように述べています。...

クリスチャンと礼拝(2)—礼拝という生活—

「礼拝が、一つの場所や時、生活の部分に限られていたり、それだけに属していることはありません。利己的、肉的な生活をしながら、感謝を口にしたり、ほめたたえたりすることはでき得ません。礼拝でそんな努力をすることは邪道です。礼拝の真の行為は、礼拝生活からあふれでたものでなければならないのです。」と書き記すことによって、ジョン・マッカーサー師は日曜ごとに捧げる公同の礼拝と私たちの毎日の生活が切り放すことができないということを明言しています[1]。このことをA. P. ギブスは、その著書のなかで、次のように述べています。...

クリスチャンと礼拝ー序文

クリスチャンの生きる目的は神を礼拝することです。神は私たちを救うことによって私たちが真の礼拝者となることができるように変えてくださいました。それ故にクリスチャンにとって「礼拝する」ということはどういうことなのかを正しく理解することは必要不可欠なことです。礼拝とは何なのか、またクリスチャンとしていつ、どこで、どのように礼拝を捧げるべきなのかを私たちは聖書に沿って理解し、主に喜ばれる礼拝を捧げるように日々成長していく必要があるのです。...

子どもと救い(3)

「子どもに救われて欲しい。」という願いは素晴らしい願いです。人の救いを待ち望み、そのために全力を尽くして生きることは私たちクリスチャンに課せられた使命でもあります。特に幼い子どもたちに対して、彼らの心がこの世の影響を強く受ける前に、みことばから神について、また救いについて教えることは大切なことです。...

子どもと救い(2)

子どもは未熟さを持っています。そしてこの未熟さのゆえに、子どもを教えようとする人々は何とか理解力が十分でない子どもたちに分かるように福音のメッセージを伝えようとします。子どもに理解してもらうために、福音を分かり易く説明することは必要なことです(聖書の真理は子どもたちにも理解することができるものであることを聖書ははっきりと教えています [箴言6:6-7; エペソ6:4; 2テモテ...

教えること・学ぶこと

大宣教命令は「弟子を作る」という命令であり、そこには伝道と教化という二つの大きな使命が含まれています。未信者に福音を伝えることも、信者に神に喜ばれる歩みを教えることもクリスチャンがしなければならない大切な働きなのです。主が求めることが何であるのかを正しく理解するために、私たちは救われた者として主の教えを学ぶ必要があります。そして、イエスは学んだ私たちが他の人々を教えることを求めているのです。では私たちはどのようにその命令を実践するべきなのでしょう。具体的に二つの方法を挙げることができます。 言葉によって教える...