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愛する者の姿5

愛は「親切」で「礼儀に反すること」をしません。「人のした悪を思わず」かえって人の悪に「寛容」であることをパウロは告げてきました。しかし、このように礼儀正しく忍耐強い愛であっても、決して喜ばないものがあることをパウロは教えます。6節に出てくる二つの特徴は、喜びに関する事柄です。愛が何に対して喜びをもつのかをパウロは示しています。二つのことを対比することでパウロは愛が何を求めるものなのかを明確にしているのです。 愛は不正を喜ばない...

愛する者の姿4

一般的に「愛」は目に見えないもののように捉えられていますが、クリスチャンにとって「愛」とは漠然とした概念ではありません。愛は具体的なものです。使徒ヨハネは次のように記します。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:9–10)...

愛する者の姿3

神の愛を知ることなく、神が愛したように人を愛することはできません。生まれながらの人間が持っている愛は、神が私たちに求める愛とは根本的に異なるものだからです。しかし、キリスト・イエスを信じる信仰によって神の愛を受けた者は、この神の愛をもって人を愛する者へと変わっていきます。永遠のいのちを持っている者はこの神の愛で愛する者になったことを使徒ヨハネははっきりと告げています。 私たちは自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。(Ⅰヨハネ3:14)...

愛する者の姿2

たとえどんなすばらしい霊的な賜物であっても、愛がなくては何の益にもならないことをパウロはコリント第一の手紙13章で教えています。聖書が教える愛とは単なる感情や概念ではありません。具体的な形で私たちの生活に見て取ることができるものです。パウロはその姿を私たちに提示してくれるのです。クリスチャンが持つべき愛とはどのようなものでしょう。パウロの言葉に耳を傾けていきましょう。 愛は寛容である...

愛する者の姿

愛のある風景 聖書的な愛を実践することは、私たちにとって容易なことではありません。それは、私たちがこれまで経験してきた愛と、聖書が求めている愛との間にあまりにも大きな違いがあるからです。 日常の生活の中で私たちが見聞きしている愛は、私たちのうちから出てきたもので、利己的で、自己完結的な愛です。しかし聖書が実践しなさいと命じている愛は、私たちから出たものではなく、神から発したもので、聖霊の実として私たちの生涯に実るものなのです(ガラテヤ 5:22)。 聖書がはっきりと私たちに教えることは、救いのないところに神が喜ぶ...

天国への道 [part 3]

多くの人たちが天国に行く確信を持ちながら「滅びに至る」大きな門から入っていく中で、イエスは自らが示す「狭い門」から入りなさいと命じます。この狭い門がどのような門なのかを私たちが正しく理解できるように、主は私たちにその説明を与えるのです。...

自己愛という非聖書的教え

近年、多くのキリスト教会で語られるメッセージの中で「自分を愛することが必要である」ということが語られています。しかし、聖書には「自分を愛しなさい」という命令は出てきません。ではどうして神がこのような命令をしているかのように教えられているのでしょう?聖書は自己愛に関して何を教えているのでしょう?...