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平安に満ちた生涯を送るために5

パウロは様々な書簡の冒頭または最後によく「神の平安があなたがたとともにあるように」といった言葉を記しています。これは単なる願望ではなく、パウロ自身が持っていた確信でした。なぜならクリスチャンが神の平安を実際に手にして、この地上での生活を歩んで行くことができることを彼は知っていたからです。イエスは弟子たちに次のように約束されました。...

平安に満ちた生涯を送るために2

平安に満ちた生涯を送るための条件 恐れることなく、不安にさいなまれることなく、落胆することなく、平安に溢れて生きることができると聖書は私たちに教えてくれます。しかし、そのような生涯は何もせずに、自動的に起こるものではありません。安全に旅をするには、旅に必要な準備をしなければならないのと同じように、平安に満ちた生涯を送るにも準備が必要です。パウロはピリピ4:4–5で、この準備について書き記しています。パウロは次のように記します。...

平安に満ちた生涯を送るために1

平安に満ちた生涯を過ごしたくないという人はいないでしょう。私たちは皆、自分たちの人生が平和に満ちたものであることを心から願っています。けれどもその願いを現実のものとしている人は多くはないでしょう。たとえ外面的に不安のない生涯を送っているように見えても、いつも心から平安に満ちた人生を生きている人は皆無であると言っても過言ではないかもしれません。...

愛する者の姿7

神が喜ばれる円滑な人間関係を築くためには、聖書的な愛がその関係における潤滑油の働きをなしていなければなりません。聖書的愛が見受けられないところには、良い関係を見いだすことはできないのです。パウロは4節から7節において、この愛の姿がどのようなものであるのかを明確に示してくれました。そしてさらに、愛がどれほどすばらしいものであるのかを付け加えるのです。 愛の優越性...

愛する者の姿5

愛は「親切」で「礼儀に反すること」をしません。「人のした悪を思わず」かえって人の悪に「寛容」であることをパウロは告げてきました。しかし、このように礼儀正しく忍耐強い愛であっても、決して喜ばないものがあることをパウロは教えます。6節に出てくる二つの特徴は、喜びに関する事柄です。愛が何に対して喜びをもつのかをパウロは示しています。二つのことを対比することでパウロは愛が何を求めるものなのかを明確にしているのです。 愛は不正を喜ばない...

愛する者の姿4

一般的に「愛」は目に見えないもののように捉えられていますが、クリスチャンにとって「愛」とは漠然とした概念ではありません。愛は具体的なものです。使徒ヨハネは次のように記します。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:9–10)...

愛する者の姿3

神の愛を知ることなく、神が愛したように人を愛することはできません。生まれながらの人間が持っている愛は、神が私たちに求める愛とは根本的に異なるものだからです。しかし、キリスト・イエスを信じる信仰によって神の愛を受けた者は、この神の愛をもって人を愛する者へと変わっていきます。永遠のいのちを持っている者はこの神の愛で愛する者になったことを使徒ヨハネははっきりと告げています。 私たちは自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。(Ⅰヨハネ3:14)...