平安に満ちた生涯を送るために8

平安に満ちた生涯を送るために8

「平安に満ちた生涯を送るために」と題してピリピの手紙4章4節から9節までのみことばを考えていますが、これまで私たちは平安に満ちた生涯を送るための条件を4節と5節から見てきました。平安は誰にでも自動的に備えられるものでなく、特定の条件を満たしている人物のみが得ることのできることをパウロは二つの具体的な命令を通して明らかにしています。一つ目は聖書的喜びが平安な生涯をもたらすということでした。そこで私たちは聖書的な喜びとは何か、聖書的な喜びとはどこから来るのか、そして聖書的な喜びをどうしたら得られるのかをみことばを通して考えました。「何が起...
平安に満ちた生涯を送るために7

平安に満ちた生涯を送るために7

「寛容である」とは「他者が与える虐待や困難を忍耐を持って耐え忍ぶ」ことです。そして私たちはこの寛容もってすべての人に接することが要求されています。なぜなら私たちは彼らを愛するように命じられているからです。しかし、この命令を実践することは容易なことではありません。愛をもって耐え忍ぶことは時にとても困難なことです。この「私にはできません」と思うようなことをいったいどうやったら私たちは行っていくことができるのでしょう。私たちの生まれ持った性質とは異なる習慣を、どうしたら身に着けていくことができるのでしょう。パウロはここで非常に興味深い言葉を...
平安に満ちた生涯を送るために6

平安に満ちた生涯を送るために6

聖書的喜びに加えて、耐え忍ぶ心を持つことが、平安に満ちた生涯を送るために必要であることをパウロはピリピ4:4–5で教えています。「すべてが万全である」という聖書的な確信に基づいた喜びが平安に溢れた人生に必要であることは、理解しがたいことではありませんが、「寛容な心を知らせる」ということが平安の生涯とどのような関係があるのかは、すぐに分からないかもしれません。ここで使われている「寛容」と訳されている単語の持つ意味を要約すると「他者が与える虐待や困難を忍耐を持って耐え忍ぶ」となりますが、この「寛容」と平安にはどのような関係があるのでしょう...
平安に満ちた生涯を送るために5

平安に満ちた生涯を送るために5

パウロは様々な書簡の冒頭または最後によく「神の平安があなたがたとともにあるように」といった言葉を記しています。これは単なる願望ではなく、パウロ自身が持っていた確信でした。なぜならクリスチャンが神の平安を実際に手にして、この地上での生活を歩んで行くことができることを彼は知っていたからです。イエスは弟子たちに次のように約束されました。...
平安に満ちた生涯を送るために4

平安に満ちた生涯を送るために4

聖書的喜びは私たちの周りの環境や置かれている状況、ましてや私たちの持っている感情に依存するものではありません。この喜びはすべてのことを支配している神が私たちのために最善をなしてくださっているという絶対的な確信に基づく、神に依存する喜びです。それゆえに常に主の最善がなされることが確約されているクリスチャンは、パウロが告げる「いつも主にあって喜びなさい」という命令に従うことができるのです。この喜びは、父なる神から与えられる喜びで、御子なる神が約束し、聖霊なる神によって備えられるものなので、救われている者は誰でも、いつでも、どんな状況の中で...
平安に満ちた生涯を送るために3

平安に満ちた生涯を送るために3

平安に満ちた生涯を送るためにはその条件として喜びを持っていなければならないことをパウロは教えます。この喜びは周りの状況や私たちの感情に基づいて生み出される喜びではありませんでした。神との和解を得ているゆえに、神によって愛され、祝されているというその事実があるがゆえに、私たちが確信をもって「私は喜びます」と宣言することができる聖書的な喜びでした。神が私たちのために常に最善をしてくださっているということを確信しているがゆえに、どのような状況の中にあっても「私は主にあって万全である」と大胆に宣言することができる喜びなのです。では私たちはこの...