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みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

II テモテ 4:2

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2017年通読用ガイド
2017年通読用ガイド

新しい年が始まるに当たって、多くのクリスチャンは「今年も(こそ)聖書を読むぞ」と考えます。しかし、一年間読み続けたとしても、何を読んだかさえあまり良く覚えていないような読み方をしても意味がありません。聖書は「読むために読む」のではなく、「理解して生きるために読む」ものだからです。つまり、何も考えずにただ字面を追うだけではだめなのです。...

平安に満ちた生涯を送るために24
平安に満ちた生涯を送るために24

クリスチャンはどのような状況の中にあっても「平安に満ちた生涯」を送ることができると聖書は教えています。この平安は何か神秘的なものではなく、キリストによって贖われたクリスチャンが、主の教えに沿って生きていくときに経験することのできるものです。つまり私たちはみことばの提示する明瞭な教えに自らの思いと行動を沿わせていくときに、いつでも、どんな状況の中でも「平安に満ちた生涯」を送ることができると聖書は約束するのです。...

平安に満ちた生涯を送るために23
平安に満ちた生涯を送るために23

ピリピの教会に宛てた手紙に登場する最後の命令は4章9節に出てくる「実行しなさい」です。ここで使われている動詞は「何をしているのか」ということに焦点を当てるもので、私たちが平安に満ちた生涯を送るために何をしなければならないのかを示してくれます。前回の投稿で見たように、9節に記されている四つの行動は大きく二つの事柄に区分することができます。一つは「聖書の基準に沿って生きなければばならない」ということで、もう一つは「敬虔な信仰者の模範に沿って生きなければならない」ということです。今回はこの二つ目の区分について考えていきましょう。...

平安に満ちた生涯を送るために22
平安に満ちた生涯を送るために22

人は「これをした方が良い」と分かっていながらも、なかなか良い正しいことをすることがありません。様々な理由を付けてやらなければならないことをしないでいることを正当化しようとします。この傾向はエデンの園でアダムとエバが「取って食べてはならない」と言われた木から実を取って食べたその日から、私たち人間の社会の中に見られる悲しい現実です。そしてこの悲しい現実は、残念ながらクリスチャンの生涯にも見て取ることでもあります。クリスチャンは聖書が全く偽りのない真実なものであると言いますが、まるでみことばには力がないかのように日々過ごしています。「神が語...

平安に満ちた生涯を送るために21
平安に満ちた生涯を送るために21

ピリピ4:8でパウロは平安に満ちた生涯を送るために私たちが思いを留めていなければならない8つの事柄を記しています。前回私たちはこのリストの最初の二つを見ましたが、今回は残りの6つを考えていきましょう。これらは私たちが思いを寄せなければならない事柄の完全なリストではありませんが、私たちを不安になったり、落胆したり、ストレスを抱えたりするときに、目を向けなければならない事柄であるのは間違いありません。 すべての正しいことに目を向ける...

平安に満ちた生涯を送るために20
平安に満ちた生涯を送るために20

「私たちの思いを服従させ、キリストが考えるように考えなさい」とパウロは告げます(2コリント10:5)。揺れ動く感情によって物事を判断するのではなく、聖書の真理に基づいてすべての事を評価するときに、どんな時でも平安をもって生きることができることを確信することができます。このことを告げたパウロは、次に具体的に私たちが考えるべき事、思いを寄せるべき事が何かを示してくれます。 正しい焦点を持つことが平安に満ちた生涯をもたらす...

平安に満ちた生涯を送るために19
平安に満ちた生涯を送るために19

パウロはピリピ4:8で「心を留めなさい」という言葉を使うことを通して、私たちに「しっかり考える事」を要求します。それは私たちの生涯に起こるあらゆる事を聖書的視点に基づいて正しく評価することが、平安に満ちた生涯を生きるために必要不可欠なことだからです。前回の投稿にも記したように、「どのように考えるのか」が「どのように生きるのか」を決めます。それゆえにパウロはここで現在形の動詞を使って、継続的にしっかりと考える事を命じているのです。...

平安に満ちた生涯を送るために18
平安に満ちた生涯を送るために18

一時的な喜びや満足を持つことは誰もが経験することですが、継続的な喜びや満足を得ていると断言する人はあまり多くないでしょう。どのような状況にあっても「私は不安がありません」と宣言することができる人は非常にまれかもしれません。しかし、神が与える平安は私たちの心を守るものであり、それは周りの状況に支配されることなく与えられるものです。ですから、クリスチャンはこのような継続的な喜びや平安を自らの生涯に見いだすことができるはずです。...

平安に満ちた生涯を送るために(前半のまとめ)
平安に満ちた生涯を送るために(前半のまとめ)

全く予測することができない私たちの生涯に起こる様々な事柄、そのようなことを考えると、私たちはもしかすると、不安のない平安に満ちた生涯を過ごすことは不可能ではないかと考えるかもしれません。私たちの周りには、数限りない心を苛む事柄があります。それらによって私たちは不安に思い、心配し、苛立ちを覚え、時には憤りに心がいっぱいになって生きることがあるのです。けれどもこれまで学んできたように、聖書は次のようにはっきりと命じています。「思い煩ってはいけない」と。それだけでなく私たちが神から平安が与えられるという約束を受けていることを教えているのです...

平安に満ちた生涯を送るために17
平安に満ちた生涯を送るために17

神は私たちに平安を与えることを約束しています。私たちはこのことをピリピ4:7から詳しく考えて来ました。この約束を確かに受けるために私たちはいくつかの事柄をしっかりと理解しておく必要がありました。それらは平安が与えられる理由を理解することであり、平安の源がどこにあるのかを理解することであり、平安の性質がどのようなものなのかを理解することでした。最後にもう一つ私たちが理解しなければならないことをこの節は教えてくれています。それは平安の効果がなんであるのかを理解することです。 平安の効果を理解する...

平安に満ちた生涯を送るために16
平安に満ちた生涯を送るために16

神は私たちに平安を与える約束をしています。この約束は空約束ではなく、確かな約束です。クリスチャンは、神が常にご自身の栄光とご自身の民の最善のために働きをなされることを知っています。ですから、たとえ自分の願っていることが起こらなくても、自分が望んでいない状況に置かれていたとしても、神の最善で最良の計画がなされていることを確信するクリスチャンは、この神の計画が行われ、神の目的が全うされていることに対する確信のゆえに、平安を持つことができるのです。そしてこの神は「平和の神」であり、この方こそが平安の源であることを知っているだけでなく、神との...

平安に満ちた生涯を送るために15
平安に満ちた生涯を送るために15

主は常にご自身の栄光とご自身の民の最善のためにあらゆる事柄を行っています。私たちはこの神の計画のすばらしさを充分に理解していないので、最善が行われていないと考え、神のなしていることに疑念を抱きます。自分の思っている良いことの方が主の計画よりも良いものであると勘違いして、置かれている状況に対して不満を抱き、満足を得ることができずに生活するのです。しかし、私たちはパウロの言葉に耳を傾け、神の計画のすばらしさをどのような状況の中にあっても認めることを学ばなければなりません。パウロは次のように告げます。...