神が喜ばれる円滑な人間関係を築くためには、聖書的な愛がその関係における潤滑油の働きをなしていなければなりません。聖書的愛が見受けられないところには、良い関係を見いだすことはできないのです。パウロは4節から7節において、この愛の姿がどのようなものであるのかを明確に示してくれました。そしてさらに、愛がどれほどすばらしいものであるのかを付け加えるのです。

愛の優越性

これまで愛の特徴について語ってきたパウロは8節から愛と未来の関わりについて話し始めます。これはコリントの信徒たちが何が彼らにとって大切なのかを正しく理解させるために必要な教えでした。彼らは自分たちの持っている賜物を教会内で競い合っていました。特定の賜物がすばらしいものであると考え、何にも勝ってそれを誇示しようとしていたのです。しかし、パウロはその賜物が愛と比較するときにあまりにも取るに足りないものであることを最後に圧倒的な形で教えようとするのです。私たちもここでパウロの言葉からしっかりと学ばなければなりません。愛を全うすることは私たちクリスチャンにとって最優先事項なのです。パウロは特にそのことを時間的概念の中で話しています。

8節でパウロは三つの賜物と愛を比較して次のように言います。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。( Ⅰコリント13:8)

三種類の賜物は終焉を迎える時間的制約を受けたものであるのに対し、愛はそのような制限がないことをはっきりと明言しています。この「決して」という言葉は「どのようなときにも一度も」といった意味の言葉が使われています。さらにパウロは13節で次のように告げます。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。( Ⅰコリント13:13)

賜物は大切なものではありますが、すたれるがゆえに「信仰、希望、愛」に勝るものではありません。後者は前者よりも長く(いつまでも)残るからです。しかし、パウロはさらに愛がその中でも一番優れていると言います。それはこの時間的な概念に支配された文脈にあって、最後まで残り続けるものだからです。信仰も希望もいつの日か私たちが主に顔と顔を合わせてお会いする日に完全な形で成就します。「見えないものを確信させるもの」である「信仰」(ヘブル11:1)は、それが見えるようになったときに達成されます。また「目に見える望みは、望みではない」のならば(ローマ8:24-25)、それが見えるようになったときに成就するのです。ただ愛だけが永遠に続きます。だからパウロは「一番すぐれているのは愛です。」と言うのです。そしてそれは、「愛を追い求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)という命令につながるのです。

聖書は「愛の書」です。しかし、この愛は私たちがこの世の中で考えてきた愛とは大きく異なる愛です。クリスチャンが身につけるべき愛は、私たちがこれまで様々な形で慣れ親しんできた愛とは大きく違う、永遠に続く、何よりも優れた愛なのです。この愛が私たちの人生の風景になるときに、私たちは主に喜ばれるすばらしい人間関係を構築することができるのです。

コリント人への手紙第一の13章で、パウロは聖書が教える愛の姿に関して記してきました。愛とはどのようなものなのかを教えてくれるこの章(特に4–8節)は多くのクリスチャンに愛の章として親しまれている箇所ですが、この章が書かれた真の目的は愛の素晴らしさについて教えるためではなく、コリントの教会が抱えていた問題に起因していました。利己的な目的のために与えられていた賜物を用い、教会の中で互いに徳を高めるために仕え合うことをしていなかったコリントの信徒たちに対する糾弾のためにパウロはこの章を書き記しました。たとえ誰よりも何よりもすばらしい賜物を与えられていたとしても、愛がなければそれらは「何の値打ちもなく」(2節)「何の役にも立たない」(3節)ことを教えようとしていたのです。パウロはコリントの教会に「愛を追い求めなさい」(14:1)と命じます。これこそが私たちクリスチャンが何にもまして追い求め、身に着けなければならないものなのです。

聖書が教える愛はこの世が提示する愛とは異なるものです。この世に属する者は神の愛を知らないので、パウロが示すような愛を自らの生涯に現すことができません。しかしクリスチャンは神によって愛され、神の愛を知るものとなったが故に、このような愛を現しながら生きることができる者に変えられたのです。ですから教会はこのような愛に特徴付けられる場所でなければなりません。クリスチャンはこのような愛が具体的に見られる人であるべきなのです。イエスは次のようにこのことをお話になりました。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13:34–35)

神に愛されている者は、この愛を生きる者です(1ヨハネ4:19)。この地上での生涯において、愛する者としての真の姿を充分に現すときに、私たちはキリスト者としての真の姿を生きているのです。