クリスチャンの生きる目的は神を礼拝することです。神は私たちを救うことによって私たちが真の礼拝者となることができるように変えてくださいました。それ故にクリスチャンにとって「礼拝する」ということはどういうことなのかを正しく理解することは必要不可欠なことです。礼拝とは何なのか、またクリスチャンとしていつ、どこで、どのように礼拝を捧げるべきなのかを私たちは聖書に沿って理解し、主に喜ばれる礼拝を捧げるように日々成長していく必要があるのです。

私たちが持っている礼拝に関する概念が聖書的なものであるかを私たちが吟味し、神が喜ぶ正しい礼拝を捧げるために私たちがどのように変わっていくべきなのかを知り、一人一人が学び、教えられたことを実践していくとき、教会は神が喜ぶ礼拝を捧げる教会へと大きく変わっていきます。

今多くの教会にある問題は、礼拝の正しい理解の欠乏かもしれません。ある人たちは「礼拝とはいつ行われるものなのか?」という質問に対して、「礼拝は日曜日にのみ行われるもの」だと答えるでしょう。しかし、聖書はそのようなことを一切教えていません。このような誤解があるのは私たちが礼拝とは何かということを正しく理解していないからです。私たちは礼拝がいつ行われるべきものなのかを正しく理解していなければなりません。またある人たちは「礼拝とは何をすることか?」という質問に対して、「礼拝とは教会に来て、オルガン音楽を聴き、情緒的な歌を歌い、祈りをし、お話を聞くことである」と考えています。それゆえに現代の教会の多くは、この上なく実用主義的で、プログラム化されています。しかし、礼拝とはこのような様々なプログラムを行うことではないのです。ではいったい何をすることが礼拝をすることなのでしょう。そのことを正しく理解していなければ礼拝が神に喜ばれるものとなることはありません。他の人たちは「礼拝とは受けるものか捧げるものか?」という問いに対して、「礼拝とは自分たちの必要を満たし、自分たちの願いを満足させるためのものである」と考えます。もしクリスチャンが礼拝に参加する「お客様」であるとするならば、教会で行われていることは本当に礼拝なのでしょうか。私たちはどのような態度で礼拝を行っていくべきなのかをしっかりと理解していなければなりません。

どのように、だれを、いつ礼拝するかを正しく理解する必要があります。正しい、神に喜ばれる礼拝を捧げることができるようになるために、私たちは、まず神が私たちに何を求めているかを知らなければならないのです。