子どもは未熟さを持っています。そしてこの未熟さのゆえに、子どもを教えようとする人々は何とか理解力が十分でない子どもたちに分かるように福音のメッセージを伝えようとします。子どもに理解してもらうために、福音を分かり易く説明することは必要なことです(聖書の真理は子どもたちにも理解することができるものであることを聖書ははっきりと教えています [箴言6:6-7; エペソ6:4; 2テモテ 3:14-15])。しかし残念ながら多くの時に起こっていることは、分かり易くするために内容を簡略化されてしまうことがあるということです。「分かり易くする」という名の下に、神について、罪について、裁きについて、キリストの業について、信仰について、語られなければならない大切なことが省略してしまうならば、聖書が教えている福音とは別の福音を子どもたちに伝えることになるということを私たちは明確に理解しなければいけません。「神様はあなたを愛しています。あなたの罪を赦したいと願っています。そのために送って下さったイエス様を信じ、あなたの心にお迎えしましょう。」というメッセージしか子どもに語られなければそれは聖書が教える福音のメッセージとは異質のものなのです。

ここで私たちが決して忘れてはならないことは、私たちに与えられている責任は、「子どもたちを救うことではない」ということです。ましてや、子どもから「イエス様を信じます」という言葉を導き出すことでもありません。私たちに与えられている責任は神が人に与えようとしている救いのメッセージを正しくあらゆる人々に伝えることなのです。理解度が足りないからといって、福音を水で薄めたりするようなことは、神に喜ばれる行為ではないことを私たちは理解しなければなりません。簡素化されて必要なことが伝えられない福音は、人を救うのではなく、むしろ混乱へと誘っていきます。子どもたちが知的に精神的に成熟し、霊的真理を理解するようになる時、キリストに対する正しい信仰と従順を持てるように、福音の真理を十分に伝えなければならいのです。

「信仰告白」は「新生」か?

ある日「私はイエス様を信じます。」と告白した子どもが、次の日にその行為すら覚えていないことがあります。告白したことを覚えていたとしても、なぜそのようなことを言ったのか、その理由を明確に思い出すことができない子どももたくさんいます。子どもが信仰を告白する理由はたくさんあります。親や先生を喜ばせるため、友達が信じると言ったから、強く勧められたから等、子どもが救いの招きに応答する理由は数多くあるのです。そして必ずしもそれらが、心から自らの罪を認め、神の聖さに気づき、キリストの働きを正しく理解し、罪を悔い改め、イエスを信じる信仰によって救いを得たいと願うからではないということを私たちは認識していなければなりません。

子どもの救いを強く願うがゆえに親や教師は、子どもたちに半ば強引に「救いの祈り」をさせようとします。福音を簡素化し、子どもの感情を巧みに操り、信仰告白をさせ、祈ることによって「あなたは救われました」と告げる、このようなことは本来あってはならないことです。これは神が人を救うのではなく、人の力で救いを与えようするような行為です。ではどのようにして子どもの(または大人であったとしても)信仰告白が本物であることを確信することができるのでしょう。

もし本当に子どもが救われたのであるならば、その子どもは救いを失うことはありません。その子どもは、正しい信仰を持って救われたがゆえに必ず成長し、主に喜ばれることを心からの喜びとして生きていこうとします。聖霊の働きが子どもの内で確かにあるがゆえに、子どもはみことばを求めて生きるようになります。神を愛し、自らの罪を心から悔い改め、聖い生き方をしていこうと努力するようになります。これらのことは、本当の信仰を持った者の上に(それが子どもであっても大人であっても)必ず起こる変化です。

しっかりとした理解がないまま、促されるままに信仰告白をすることの多い子どもたちに対して注意しなければいけないのは、その告白が必ずしも救いを確証するものではないということです。福音に対して肯定的に応答するからといって、それは救いに至る信仰を子どもたちが持ったということを必ずしも証明しているのではないのです。

ここで考えなければいけないことがもう一つあります。それは神が子どもを受け入れていないのに、私たちが子どもに対して救いを保証してしまうことです。「あなたは救われました。死んだら天国に行けるのですよ。」と伝えるのは、時に子どもたちに間違った確信を持たせることになります。子どもはよく、何度も繰り返し、救いを得るための意思表示をします。そのたびに「あなたは救われました。」と伝えることは、みことばに沿った考え方ではありません。しかし同時に、このように幾度となく信仰を持ちたいと願い祈る子どもに対して、「あなたはもう信じたのだから大丈夫。」という言葉をかけることは、危険なことであるということを私たちは明確に理解していなければなりません。キリストに対する正しい愛を持たずに、教会生活を送る子どもがないように、福音を伝える者は最大の注意を払わなければならないのです。

救いの確証を人に与えるのは聖霊の働きです。聖霊が人の内で働き、御霊の実を豊かに実らせることによって、人は救いの確信を得るのです。それは子どもに対しても同じです。聖霊が神の真理を子どもの心に示し(ヨハネ16:8-11)、みことばを教え(1コリント2:10-14)、彼らが従順に歩むことができるように強めるのです。信仰告白をする子どもに対して、私たちは彼らを励ますことができます。彼らの歩みが本当に彼らの告白と一致していく時まで、私たちは継続的に子どもたちに対してチャレンジしていく必要があるのです。