神は親に対して、主の教えと訓戒をもって子どもを育てることを命じています。それゆえにその責任をほかの人に委託することは正しいことではありません。親は子どもの生涯に深く関わることによって、自分たち以上に子どもに影響を与える存在がないようにしなければならないのです。ある親は、子どもが犯す過ちが子どもの友人のせいだと言います。 しかし、それは親が責められなければならないことを自らが認めているのです。なぜならば子どもが親の言葉ではなく、友人の言葉に耳を傾けることを許してきたからです。

このような言葉に対して、多くの人々は親が友人や、文化や、テレビや、学校の教師 や、それら以外のあらゆる事柄以上に子どもに影響を与えることは今の時代において不可能であると思うでしょう。実際に子どもたちの置かれている環境を見るときに、これは現実として私たちの目の前で起こっている出来事なのです。では、なぜこのようなことが現実としてあるのでしょう。理由は簡単です。親が子どもに影響を与えることを止めてしまったからです。親は自分の子どもたちを彼らの友人たちの手に委ね、子どもを教えるために費やす時間は、彼らがテレビを見る時間へと変わり、それゆえに子どもたちの霊的、道徳的、倫理的指導は、親ではなくテレビによって与えられるようになりました。親は学校の教師や、教会学校の先生等に頼り、親であるがゆえに果たすべき責任を家庭の外に委託してしまったのです。

子どもが持つ特徴(特に道徳的特徴)は、生まれながらに子どもに備わってはいないということに親は気 づかなければなりません。もし子どもたちが親の望まないような者になったのならば、それはほとんどの場合、子どもたちが親のいないときにそばにいてくれた人からそのような 特徴を学んだからなのです。子どもたちに対する親の影響力がなくなっているのは、周りの影響力が強くなったからではなく、単に親が影響を与えるという大切な責任を全うしなくなったからなのです(もちろん親が子どもたちに対して良い模範を示そうとしないがゆえに、親の悪い特徴を子どもたちが学ぶ場合も大いにあります)。

クリスチャンの親は、このことをしっかりと理解しなければなりません。子どもたちが世からの影響を受け、神の前に不敬虔な生き方を学んでいかないように、神は私たち親 に、主の教えと訓戒をもって子どもたちを教え、導くという大きな責任を与えておられるのです(エペソ6:4)。私たちはいつか必ず主の前に立ち、主が私たちに与えてくださった子どもたちに対する責任を追及されます。もし他のものが私たち以上に子どもたちに影響を与えていたのであれば、私たちは主の前で非難されるのです。