神は自存する方ですが、私たち人間は神に依存する存在です。詩篇の著者は、私たちがどのような者であるかをしっかりと思い起こすように、このような言葉を私たちに与えています。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」 詩篇100:3

人は他の被造物と同じように神に依存して存在しています。それは人も神によって造られ、神によって保たれているからです。人は神の創造されたものの中でもっともすばらしいものとして造られましたが、あくまでも人は被造物であることを忘れてはいけません。パウロが「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒17:28)と語るように、神がいなければ私たちは存在すらしないものであることを知る必要があります。私たちが所有するものすべては、神から与えられたものです。もし、神が私たちを保つことをやめるならば、他の被造物同様、私たちは存在すらすることができないのです。私たちの存在は、100%神のみこころのゆえです。この人間の神に対する依存は、非常に多くのことに影響をもたらすことですが、特に2つの分野において重要です。

ー神に対する知識的依存ー
創造主と被造物の関係は人間の持つ自分自身、この世、そして神を知る能力がどのようなものであるかを明確にしてくれます。人は完全に神に依存しています。この依存には人の知識も含まれているのです。神はご自身に関する知識、被造物すべてに関する知識を、何にも依存することなく単独で完全に所持しています。しかし、人の知識は依存しているものなのです。詩篇の著者はこのような表現を使ってこのことを説明します。

「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」 詩篇36:9

被造物とみことばによる神の啓示の光がなければ、私たちは光を知ることはできません。神はすべてのことを知っておられ、私たちが何かを知ろうとするならば、その神の知識に依存する必要があるのです。私たちが持つ知識のすべては、意識的であれ、無意識のうちであれ、神の知識に依存しているのです。これは創造の初めから今まで、変わることがありません。イエスはこのようにご自身のことを説明されました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 ヨハネ14:6

パウロは同じことをこのような表現で説明しています。

「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」 コロサイ2:3

「宗教的な真理」と呼ばれるものだけでなく、あらゆる「真理」は神のうちにあり、人はそれらの真理を知るためにまずすべての真理の源である神の啓示を正しく理解しなければならないのです。なぜならば神だけが人に真の知識を教えるからです(詩篇94:10)。人は考えることができるように造られています。それゆえに物事を知るために人はものを考えます。しかし本当の知識は、神に依存し、神に根元があるのです。そして知識を正しく持つことは、神が私たちに与えてくれた啓示を通して神を知ることから始まるのです

ー神に対する道徳的依存ー
人が正しい知識において神に依存しなければならないのと同様に、人はその道徳において神に依存しなければなりません。今まで当然であった道徳的価値観や目的が疑問視されてきている今、いったい何が正しいことであり、何が悪いことなのかを定義し直さなければならないような時代に私たちは生きています。物事の正否は、また善悪の基準は何なのか、どこにあるのかという質問に正しく答えようと思うならば、私たちは同じように創造主と被造物の関係を認めることが必要です。

神は創造主であるがゆえに、最初から律法を与える、律法の上に立つ方として存在してきました。そしてこの方は、創造主であり、律法を制定する者であるがゆえに、すべての被造物が神の律法に従うことを当然のこととして求めているのです。神が被造物を見て「良い」と言われた時から、神は自らが善悪を定める唯一の審判者であることを宣言し、その権利を創造の初めから今も変わらず持っておられるのです。アダムとエバに対して主は、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるそのとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と言い、モーセには、「わたしは・・・あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト20:2-3)と命じ、イエスについては、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」(マタイ17:5)と語られました。これらは絶対的な基準であり、これらの言葉の正否を裁く者は存在しないのです。

神は善悪に関して、最高の審判者です。神が道徳に関して語ることはすべての人に同じように適用することなのです。それゆえに私たちがもし善悪を知ろうとするならば、私たちは神との間にある、創造主と被造物の関係を理解し、私たちは道徳的に神に依存するものであることを知らなければなりません。

聖書的に正しい基準で物事を考えることは、罪を持つ私たちには困難なことです。しかし、被造物である私たちが真理を正しく知り、それを選択していくためには、創造主である神を認め、その神の啓示に完全に依存する必要があるのです。