日本には伝道熱心な教会がたくさんあります。それはすばらしいことですが、手放しで賞賛する前に一つ考えなければならないことがあります。それは、「聖書は一度たりとも私たちに『福音を宣べ伝えればそれで良い』とは言わない」ということです。
神は、「人が救われさえすればそれでよい」とは思っておられません。つまり、神の関心は人が天国に行くか行かないかではないのです。神の関心は人が救われて、その救いの召しに沿って人々がキリストに似た者へと日々変わり続けることです。イエスが大宣教命令で命じたことを思い出してください。それは単に「伝道しなさい」ではありませんでした。イエスが命じたのは「弟子を 作りなさい」だったのです。私たちは出て行って福音を伝え、人が救われた ら「ああ、よかった。さぁ、次の人に行きましょう」ではなくて、救われた人がしっかりと信仰に立って成熟した者になるように働きを為して行かなければいけないのです。

信仰を持った最初の状態、いわば霊的赤子のままで、成熟を経験しないクリスチャンは、正しい知識とその知識の実践を持たないがゆえに「人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたり」します(エペソ4:14)。そのようないつまでたってもしっかりしないクリスチャンを増やさないように、教会は聖書を説き明かし、偽りの教えが人々を惑わすことがないように、真理を教え続けなければならないのです。

教会がこの働きを怠る時に、教会はその存在意義をなくしていきます。これは厳しい言葉かも知れませんが、正しい宣言です。主は救われた者たちの集まりである「キリストのからだ」をこの地上において地域の教会という形で具体的に現されています。この地域の教会は神を愛し、神のすばらしさを讃え、主の栄光をこの世において具現するものです。そしてそれは主の与えてくださったみことばを知り、理解し、実践することによってのみ初めて成し遂げられることなのです。

教会が聖書を教えることをしなくなったら、いったい誰がそれをするのでしょう?教会がみことばを正しく伝えることがなくなったら、いったいどこで人々は神の真理を学ぶことができるのでしょう?

みことばの真理は人を変えます。神の裁きを受けるべき罪人を、神の祝福を得ることができる者とすることができます。神をさげすみ憎む者を、神を愛して止まない者にします。罪に従う者をキリストに従う者に変えるのです。聖書の真理は単なる知識として頭の中だけに留まるものではありません。私たちがキリストに似た者となるように私たちを変える力をもっているのです。

皆さんは霊的に成長しているでしょうか?「霊的年齢は何歳ですか?」と聞かれたら、どう答えることができますか?皆さんの教会は成熟した教会ですか?「あなたの教会は霊的に何歳ですか?」と聞かれたら、あなたは何歳だと答えることができますか?「大人になりました」と言うことができるように、パウロのように「私を見ならいなさい」と言えるように、私たちは成長し続けなければならないのです。どうぞ、霊的赤子のままであり続けないでください。真理を知ることによって、その真理を生きることによって共に成長していきましょう!