教会は本当に教会が成長していくための働きをなしているのでしょうか?「成長」するための働きが単なる「大きくなる」「数が増える」ための働きであるとするならば、たとえ1000人集まる教会であったとしても、その教会は未熟な信徒が集まる未熟な教会でしかないのかもしれません。一部の優秀な人たちの働きによって多くの人が集まったとしても、次の世代のリーダーたちが育まれない、会員の入れ替わりの激しい、大きいけれども未熟な教会であるならば、主は本当にその教会を見て喜んでくださるのでしょうか?

私たちは人を救うのは神の働きであることを知っています。聖書は教会に人を加えるのが神の働きであることを明言しています(使徒2:47)。それゆえに教会は「成長」=「会員数の増加」と考えて、どうしたらもっと教会に人が来てくれるかを考えるのではなく、「成長」=「教会員の成熟」と考えて、どうしたらもっと教会員が主に似た者として地上での生涯を全うすることができるのかを考えるべきなのです。

たとえ10人しかいない教会であったとしても、10人全員が成熟した、他のどの教会に行っても教会のリーダーとして働きをすることができるようなクリスチャンへと成長し続けているならば、その教会には一致と感謝と喜びとがあふれているでしょう。主はその教会を大いに喜んでくださいます。そして、その教会が10人だけで留まることはないでしょう。なぜならばその10人は主の前に喜ばれる人生を送ろうとするがゆえに、日常の生活の中で神のすばらしさを大胆に言葉と行動を通して証しし続けるからです。その結果、どれだけの人数が教会に集うようになるかは、私たちが気にすることではありません。神がふさわしい人数をそこに備えてくださいます。なぜなら、人を救い、教会に加えるのは、神の計画に沿って神ご自身が行う働きだからです。

伝道はすべての信徒に与えられている使命です。信徒の集まりである教会は絶対に伝道を怠るべきではありません。しかし、信徒の集まりである教会は、「信徒を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」という役割があることをないがしろにしてはいけないのです。教会の成長は、信徒が教会においてみことばを通して教えられ、知識においても生活においてもその信仰が成熟していくときに見ることができます。信徒は聖書の教えと互いの交わりを通して教会の中で成長し、言葉と行動と態度の変化に現れる信仰を通して実生活の中で伝道していくのです。

教会は成長するための働きを熱心に行っているでしょうか?この問いに私たちは真剣に向き合って、答えを出さなければいけません。