最も危険な偽りは、真理と嘘の入り交じったものでしょう。聖書の教えを一部取り入れながら、上手に大切な部分を非聖書的なものと置き換えるとき、そこに生まれるわずかな歪みが、人を徐々に真理から遠ざけてしまいます。だからこそベレヤの信徒のように、教えられていることが本当にみことばに沿ったものであるかを一人一人の信徒が、「聖書からの教え」と言われるものをみことばに沿って吟味しなければならないのです。本を読むとき、メッセージを聞くとき、他の信徒と話をするとき、未信者と話をするとき、私たちは正しい聖書理解の下に物事を聞き、話し、考える習慣を持つように努める必要があります。この習慣は聖書を学ぶ喜びを知ることなくして、身につけることはできないことでしょう。